認知症の方々が残された時間をその人らしく過ごせるように気配り目配りの場所がグループホームの役割なんですね。もちろん他の場所は行ったことがないので何とも言えませんが・・。ゆったりと流れる時間の中で平和な毎日が流れていました。その半面介護士のみなさんは大変なご苦労をされています。貴重な経験をさせていただきました。

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パソコンの関係でポーランド人で外国語教師の「英語、ロシア、ボーランド語」を釧路昭和で教えているカジシェミシュ・コグト宅を訪れた。もう20年の付き合いだ。パソコン苦戦中。

私の職場は大学の近くにある。留学生も多い。最近はミャンマーやインドネシアの留学生とよく話をする。今から数年前、アジア系の留学生と話をする機会があった。ロシア語を話しているので、アジア系のロシア人とわかった。カザフかウズベキスタン人かと思い出時を聞くと「アリュート」と彼が答えた。お父さんがアリュートでお母さんがロシア人、カムチャッカ半島のペトロパブロフスクに住んでいるという。アリュートと言えばシーカヤックのメッカ。彼にカヤックについて聞いたが「知らない、見たことがない」とのこと。アリュートの悲しい歴史を感じてしまった。アリュートの男であればカヤックハンターとなり、荒れる漕いで漁をしていたはず。アリュート族のカヤックスキルも船の性能も相当高かった。現在のカヤックは9000年前にすでに完成されていた。材質が違うだけで寸分違わない姿である。アリュートはアジア系のなので日本人とそう変わらない。アリュートの自然と調和した暮らしは9000年の歴史のわずか100年ほど前にロシアの探検隊に発見されてから、民族の針は絶滅の方へ大きく振れていった。大東亜戦争でアメリカと日本によって島は蹂躙され、島から連れ去られ、ほとんど絶滅に近いう状況になった。そして、シーカヤックは滅ぼした白人たちの手で、レジャーとしてこの世に蘇った。水は歴史を記憶する力があるという。海にはアリュートの悲しい歴史の記憶が蓄えられ、海を漕ぐ者になにかの霊感を与えているような感じがする。滅多に出会えない民族の血をひく人に、北海道の片田舎で、出会えるとはどんな縁だろう。彼と握手した、アリュートに触れた。素晴らしい幸運だと思った。

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日本一高いチャレンジスピリットf-bizの小出さん。我々の正式
名称はk-bizに決まった。センター長は小出宗昭。九月に相談会開催予定。

今日はronの誕生日だった。思えば15年前の5月21日午後7時20分頃、この地に生を受けた。早いようでゆっくりでもある。息子の成長を喜んでいたら自分の終わりがどんどん近くなる。今を共有できることがどんなに素晴らしいか、あらためて実感した誕生日でもあった。そして、桜が咲いた。日本人の心ともいわれる桜。武士の心。共感できる反面、生というものを軽んじているような気もするが、経年変化と共に愛おしむようになってきた。ここ、北海道の極東地域では冬は長く、春は短く、夏はあっという間に過ぎてゆく。その短かい季節の始まりを告げるのが、日本で最も遅い桜の開花だ。桜は美しいし可憐だ。そしてつぼみを持ってからわずかの間に散ってしまう。心待ちにしていた桜も、未練残さず散る。花咲き、花散る。その潔さが、不意に命を失う可能性のある職業軍人にはお手本とされたのだろう。しかし、生に執着しない姿には共感できる。人はどれだけ長く生きたのかではなく、どのように生きたのかを問われる、つまり生き様を問われる。桜の良さはこんなことに気づかされるところにもある。つぼみを持ったと期待されて、咲き始めては何分咲きと毎日眺められ、満開になったら祝い、はらはらと桜吹雪舞う中で短い桜の命を惜しむ。まさに人生。終わりがあるから美しい。可能性を秘めた少年よ 小さく固まるな。君はまだ過程にある。裾野を広げ、問いを発し学び高い山を築け。誕生日おめでとう!

HT03-Aの限界。夜桜を見ながら焼肉 ちょっと寒い

家に入っても桜酒

tubeで知りました。関西で活躍するシンガーソングライダーだそうです。いろいろアップされていますが、私はこの曲がお気に入いりです。人とひとの絆、「過去、現在、未来からつながる命」、平和への願い、優しい眼差しで見つめられているような歌です。釧路へ呼ぼうと思って連絡したのですが、返事がきませんでした。今、釧路での産業振興策センターが本格的稼働したら、その時の記念に来てもらおうかな~

説明不可能の森高ファン。還元不能だ。素数でもある。保有CDは多数。たまに無性に聞きたくなることがある。今森高もオバサンになっている。しかしみんなオジサンだ。時の流れには抗しがたい。

所要があり4ヶ月ぶりの羅臼訪問。同行者はさいとうさん。着くなり、宴会が始まる。センキンツブと鮭児(ケイジ)の刺身。食処いわみ店主、手打ちの釜玉うどん等々。訪れたテーマはインターネットで集客するか・・
以下に答えがある。この路線に沿って販促を考えてさいとうさんと羅臼へ訪れたい。

http://www.okinawa-professional.jp/kakonokiji.htmlimage

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羅臼へ4ヶ月ぶりの訪問。午後7時40分到着。待っていたのは羅臼のツブとケイジの刺身

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親戚が亡くなり連休は葬儀などで忙殺されていました。ようやく、書く気分に・・・いったい、この北海道、極東のこの街で人がどれくらい死ぬのだろうか?ふと疑問に思った。短な死である肉親との別離の時くらいしか死を意識することもなく生きている。この街の人口が20万人としたら、少なくともそれと同数近くの死が存在したはずだ。死は忌み嫌われ、穢れの対象だから、なかなか表立っては存在してはこない。ここがインドのように河の淵で遺体を焼くき、その灰を遺体に河に撒くような、死生一体の考えであったなら死は日常のものとして、衆目に晒されもっと死が身近な問題となったかもしれない。この一週間、死という問題を深く考えるきっかけになったと思う。恐れの対象ではなく、死は生を彩るもの。終があるから生彩を帯びるということだと思う。こんな動画をネットで見た。人の力とはすごいものだ。人間というもの考えさせられる。
アイスランド火山の影響から徐々に回復するヨーロッパ空の便

Ronの紹介

職業:学生

住所:釧路

趣味:ゲーム、PC、自転車、シーカヤックなど、インドア・アウトドア問わず広く

道具:クロスバイク

ロードバイク(購入予定)

カヤック(シングル艇)

PC(父作)

旅行の記録や、気づいたことなどを書く予定です。

なかなか書けない時もあると思いますが、見ていただけると嬉しいです。

–この記事の執筆者:Ron–