羅臼の人々は半島の標津側を「カミ」と呼び岬を「シモ」と呼ぶ。理由は不明だ。この地図をみてもわかるように、知床半島は海に突き出している。故にここは大陸と太平洋の風の通り道だ。天気予報はあてにならない。山の天気のようにめまぐるしく変わる。世界有数の風のとおり道とされ、多くの船乗りの命を奪う悲劇を生んだ。比較的穏やかななのは7月の中旬から8月の中旬くらいまで。夏の終わりから海が荒れやすくなり難易度が増す。知床を漕ぐ際にはたっぷりと予備日をとり、無理をしない事が大切。羅臼側は比較的避難出来る場所がある。しかしウトロ側はルシャ川を超えたあたりから断崖が続き避難出来る場所が激減する。
 私は以前は出発をウトロにすることが多かった。岬をかわしてから羅臼側が問題だ。かなりの確率で荒れていることが多い。一度はきつい向かい風の中6時間もかかって戻った事があった。それ以来羅臼側、相泊から出て、ウトロへ向かうパターンに変えている。いつ行って同じ状況にはない知床半島遠征。魅力的な場所である。


F&Q
「カヤックで海に出る時はかなり沖を漕ぐのですか?」
答え
「岸から30m以内です」
反応
「そんな近くを漕ぐの??」

シーカヤックを始めて以来、守っていることがある。それはなるべく岸寄りを漕ぐことだ。これは知床カヤックの第一人者、新谷さんから学んだこと。岸寄りは押し寄せる波で危険な状態な事が多い。しかし、沖を漕ぐと万が一ひっくり返ったら、流される危険性が高い。岸寄りなら、気絶しても押し寄せる波で打ち上げられる可能性がある。生き残れる可能性のある方を選択しろ、特に集団で漕ぐときは・・ 以来9年間漕ぐときは岸寄りだ。googlemapにGPSデータを表示したものだが、この通り岸寄りを進んでいく。

新谷さんの知床エクスペディションのページ

焚き火が大好きだ。シーカヤックにはまり海へ出るようになる前から焚き火愛好家。バイクでツーリングしている頃から、焚き火で採光・採暖していた。今まで、想い出に残る焚き火は2008年に息子と行った知床遠征のもの。やつは紙パンツ履いているときから、キャンプ、カヌー、カヤックと二人で行動していた。知床に関しては、小学生二年生の9月に相泊からペキンの鼻まで、タンデム艇(二人乗り)で、羅臼の仲間と行ったことがある。あの時は当然体力不足で、帰る途中で寝てしまった。
2009年は中一になったのを契機に半島一周に挑戦。一泊二日で漕ぎきり、息子は、今後は毎年知床を漕ぎたいと言っている。息子は今はタンデムの前を漕ぐが、今年はシングル挺に挑戦し、やがて私が体力が衰えた頃は私が前に、座り連れてこられたいと思う。 
 この遠征では、羅臼到着日は海が荒れて出艇できず、翌日相泊にて早朝より風待ちをして、8時くらいに風が落ちたのを見て漕ぎ出した。4時間ほど漕いで岬へ到着。テントなど設営しビールを飲み始めたら、季節外れのダニの襲撃。広げた荷物を撤収して、漕ぐこと1時間。落合湾へ到着。やがて露営地に帳がおりて、満天の星空。焚き火のはぜる音だけが響く、息子と過ごす、無口な夜。30歳過ぎての子供なので、生まれてから成長をじっくりと見守った。こうして子供から男へメタモルフォーゼする姿を見ていると、人の一生の儚さ、不思議さ、そして繰り返しであると感じる。空には満点の星。いつか焚き火の前で一人杯を重ねる。願わくばこの場所で成人した息子と痛飲したいものだ。15年、そう考えたら早いものだ。しかし私たちの前には、人類誕生の46億年の歴史が横たわる。それよりも古い過去からの光を眺めている自分が一瞬であり永遠なのだとも思った。

ツーリングの写真はたくさんあるのですが、整理しきれていません。一部スライドショーにしました。最近気に入っているEdward Sharpe & the Magnetic ZerosをBGMに御覧ください。近々もっと真面目にやります。

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清里行きの練習のため片道25キロの町まで

2009年のシルバーウィークに9回目の遠征を行った。同行者はシーカヤックツーリングは初めてだが、今回私にアリュートパドルを半年もかけて制作しプレゼントしてくれた親友だ。岩見沢からJRにのり釧路までやってきた。私の仕事が終わり次第、羅臼へ向かう。羅臼ではいつもどおり、食べ処「いわみ」に投宿する。いわみには絵本作家の関屋が個展のため滞在していた。一度寝たはずの関屋さんが酒盛りに参加して酒宴が盛り上がる。

就寝は午前1時をまわり、起きたのは午前4時、やれやれ、いつも寝不足か・・
相泊まで車を飛ばし、海況をみると風もなく穏やかだ。これなら一気に岬を越せる。1時間ほどかけて、車から装備品、食料をカヤックに積み準備をする。
大きな不安は、台風14号「チョーイワン」が太平洋沖を直進している事だった。直撃はないものの、勢力が大きい分うねりが入ることが予想できた。今日は出発できた。天気図に記入できても、等圧線が引けないのでおおよその予測しかできない。しかし、予備日はたっぷりとっているし、食料も水もがたくさん積んだので心配はない。必ず戻れる。
もうひとつの不安要素は羆。我々と前後してちょっとした事故があった。岬を目指すトレッカーのテントが不在中に羆に荒らされたらしい。これは憂慮すべき事だ。人を恐れなない羆が確実に増えていることだ。
ともあれ迫り来る台風の下、親友を載せて9月の遠征は開始された。
朝6時から漕ぎ出し、岬を9時半に超えて11時には落合湾に到着した。

オホーツクの海 沈む夕陽 この日の海は穏やかだった。夜は焚き火にあたり、ウヰスキーを飲みながら星を見た。翌朝大変な事になっているとも知らずに・・・・

初日は落合湾に泊まった。三方を断崖に囲まれ海に面しており、なんとなく安全な気がするが熊はどこにでもいる。


翌日目覚めると海の様相は一変していた。台風は東に逸れたのだが、台風由来のうねりと風が強く大荒れの様相を呈している。判断として正しかったかは結論はでないが、二時間漕ぎ、隣の霞の番屋(カパルワタラ)まで移動した。放心状態の僕たちの前に、目的地ウトロ方面の海況がこれだ。残念ながら写真では迫力は伝わらない。沖から入り波力のつよいうねりが入ると、爆雷が炸裂したように水柱が立つ。風が舞うときは渦巻が何本も海面を走る。翌日も出ることができず、友人と二人、朝からウィスキーを舐める。しかし、ウィスキーの残りも乏しくなり、荒れ狂う海を眺めていた。すごい光景を見ていた。人間の力など及ばない偉大なる力の片鱗。すべてを無に帰す慈悲の心。

一日停滞して、まだ風強くうねりの残る海を8時間漕いで、親友の知床初遠征は終わった。彼は知床に何か大切な「もの」を忘れてきたようだと言う。それは、知床に心奪われし者共通点。だから、失ったものを求めて生きたくなる。知床を廻り、家に帰った時の異和感。テント生活、必要最小限で暮らしてきたのに、あふれるばかりのモノ、十分すぎる食料、水。熊にも天気にも怯えない街。