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松阪というか三重に展開しているチェーン店「コメダ」。コーヒーを頼むとモーニングサービスでパンとゆで卵がついてくる。ただでついてくる。タリーズもドトールもスターバックスもコメダにはかなわない。唯一のライバルは類似店のらんぷだけだそうだ。ちなみに名古屋のモーニングサービスはもっとてんこ盛りだそうだ。

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昨夜は市内のいながきでお好み焼き、うめいちで周りのお国言葉を聞きながらカウンターで飲んだ。夜になってもストーブ付け放しにして温度があがりすぎた部屋くらい暑さだ。ビールが美味い。後は肉が美味しい。砂肝が好きなのだが、こんな砂肝はなかなか出会った試しはない。松阪の人は普通だというが~。刺身はマグロとしめさばは同じだがハモとタイ、トリガイ。さて、これから郊外の肥育農家(松阪牛)や道の駅、松阪市内のスーパーなど回る予定だ。

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本場じゃないかもしれないが、釧路では食べられない味!!!

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松阪商店街の活性化に取り組んでいる方からお話を聞きました。その後は三重県農業研究所で家畜の糞のペレット化について興味深い話を聞くことができました。

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今朝は時間がなくコンビニ、ミニストップでおにぎりを食べる。北海等では見られないあさりの時雨煮入り。東海限定と書いてある。あとは北海道原料のソフトクリーム、私の好きなタイプではない。

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午後6時15分、釧路~千歳から名古屋無事飛行機は降りた。22時15分発、松阪行の高速船の中、漆黒の海を見つめる。旅の始まりは周りから聞こえる三重弁の囁き。遥か蝦夷からやってきた異邦人には新鮮な響きだ。合わせてローマ人のもの語りも五巻を越えて、ハンニバルの章が終わった。エトランジェという言葉が頭の中をリフレインしている。

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モンベルショップで買ったソフトクーラーバッグ。容量は10リッター。性能は?1日凍らせた水を朝クーラーバッグに入れて仕事に出た。半日は相当気温の上がった車に放置。半日は職場の中に持ち込んでも解けたのは三割程度。科学的な根拠は不明だが時間をかけて凍結させた氷は解けにくいらしい。知床で冷たいビールを飲むために準備している。最高の贅沢のために。

 

 

 

 

 

 

 

シーカヤックの歴史は9000年に遡る。言い換えると9000年間ほとんど姿を変えていない。ここにあるのは今から100年ほど前まで使われていたアリュート族のカヤック、ロシア名でバイダルカを当時の製法で再現した物だ。製作者はhttp://www.outrider.co.jp/indian/

 

 

 

 

 

 

 

本来海獣の皮で覆われるべき船体はキャンバスに防水処理をする。アリューシャンには木が少なく、北米大陸から漂着する流木を使ったらしい。船体を構成する部材は紐で結ばれ接合部分にはクジラの骨同士が当たるようにいれたという。この特徴的なナローパドルも木材から出来ている。風の強い海域で肩への負担を少なく漕ぐための独特な形状だ。タンデムのバイダルカ長距離や狩りや漁に使われた。彼らが絶滅に瀕する要因の一つとなったロシアによるアリュートの発見、ラッコの毛皮に目をつけられて使役されたこと、アラスカ半島を含むアリューシャン列島のアメリカへの売却、太平洋戦争勃発となり、アッツ、キスカが日本が占領したことにより米国、日本が住民を保護の名のもとに自国に連れ帰り彼らの生活は失われた。9000年の歴史はここ100年ほど消滅した。

座席部にはシートはない。スノコ状のものがあるだけ。シンプルだ。

 

タンデム艇の前から後ろまで通りぬけを試みた女性。前と後ろは繋がっている。

 

知床エクスペディションのシーカヤックシンポジウム御一行様。全国から集まった。

 

知床スタイルのタープの張り方。私はパドルをこのようには使えない(笑)

これだけのカヤックが並ぶのは壮観。村の出現といってもいい。

 

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昨日ふみぞのゆで旅人のカブを見た。赤銅色に焼けた持ち主と一瞬すれ違う。旅人と一目でわかった。テント一つにコンテナ一つの生活用品。本当はこれで充分。長く生きているとだんだんおりが貯まるようにモノの呪縛に縛られる。いつも思うけど実行できないこと。体一つ、自分の運べる荷物だけでシンプルに暮らしたい。今自分はその対局に留まったままだ。

仕事から7時過ぎに戻る。着替えてデッキに缶ビールを持って出る。カヤックに座り改めて船体を撫で回し、水からあがり静かに休むカヤックの感触を味わう。本来のカヤックはスキンカヤックで今のリジッド型とはかなり様相は違う。9000年前から続く儀式として陸に上がったカヤックに座り、カヤックハンターからハンターへ語り続ける守護神の歌を語り継ぐように座っているだけでスピリチュアルな気分になれる。

息子が帰ってきた。昨日釣ったチップ(アイヌ語のカバチェップからきている)を刺身で食べる。ニジマスを息子がかぶりつく。

息子の顔はぼかしたわけではない。被写体ブレ

 

昨日カヤックでトローリングをした。集魚板のあとに極小のプラグをつけて低速でカヤックを漕ぐ。するとあたりがくる。私もフライに没頭していた時期がある。しかし、ある時から急速に離れていた。頭でっかち過ぎる釣り人に閉口した。キャッチアンドリリース至上主義にも疑問があった。自然を大切にするといいながら一番破壊しているのが釣り人ではないかと疑念もおきた。自分も含めて釣るためならなにをしてもいいという精神も災いした。だから今は釣りは食べるためにしかしない。昨日釣ったチップは1匹、ニジマス1匹。すべて家族の胃袋に収まった。リリース至上主義のような考えがある。持ち帰る人がいたら指指し運動をしましょうという話もあった。針にかかった魚、命のやりとりをした魚は食べるべきなのだ。口には痛点がない。逃がした魚は生き残っている。みんな人間の都合のいい話だ。息子は小さな頃から鹿撃ちについていく。冬の雪原で鹿の頭に命中するライフル弾、白い雪を背景に放射状に飛び散る血と脳髄。私と息子は駆け寄り足を持って引きずり解体のの手伝いをする。そこにはリリースなんて言葉はない。針と銃弾の違いはない。一旦手をかけたなら最高の敬意は食べること。私はそうおもうようになった。命を頂くには相当な覚悟が必要だ。キャッチアンドリリースは禍々しい。