トルネード、竜巻 あの中心に入ったらどうなるのか?興味の尽きないところだ。羅臼の礼文町を車で走っているとき偶然見つけた。
生きている!これは生き物だ。荒野に吹く風は人を消耗させるため、そのターゲットについてまわるという。カヤッキングの途中でこれに出くわしたならあっという間にひっくり返されるのだろう。この礼文町は風の強いところだ。やはり北東の風が吹くときは充分注意しなくてはならない。

羅臼では北西の風は凶とされる。この方角の風は荒れるからだ。以前書いた、カレイ釣りの前、小雨がぱらつき曇っている間は天気はまだよかったが、途中晴れ間が見えだしてから、不吉な天気となった。思い出したように吹く突風、知床連山にウトロ側からものすごい雲がぶち当たり、それが上へ上へと伸びている・・
そして翌日の月曜日は見事に強風が吹き荒れる。普段はこんなエメラルド色をしていない海が、底荒れをしているのか、風で屈折が変わったためか不気味な色になっている。国後までが怪しい雰囲気だ。いつも寝息も立てない海が、轟々と音を立てはじめている。
よく事情がわからない人が見ると、温かそうに見えるが、この低気圧のおかげですっかり5月の前半に戻ってしまい、寒い毎日。水温も6C~8Cの間だろう。普通サウナの後に入る水風呂は25前後。私が好きな西別川は湧き水のため年間通して14Cくらいだ。14Cの水温は10秒手を入れていると頭がキーンとなってくる。そうするとこの海の水温はどんなものかわかっていただけると思う。早い人で低体温症で5分後から運動機能が低下し、昏睡に入りってしまう。楽観は禁物だ。
竜巻も起きた。偶然写真に収める事ができたので、それは後日のお楽しみ!

羅臼で桑原商店を経営している町田さんとは年が同じで、同じようにギターが好きということもあって、結構いろいろな話をする。先日も立ち話をしているときに、「つげ義春」の話となった。町田さんが中学生からの熱狂的な「つげ」ファンと知って驚いた。修學旅行ではつげグッズを買いあさったという。私は26くらいの時に友人宅で読み出し病み付きになっている。つげ義春の世界は日常空間にぽっかりと空いた非日常的な空間といえる。つげ義春の何度も何度も読んだ漫画を読み出すと、その物語と同時に自分の中で旅が始まる。それはいつも同じ旅で何度も何度も経験したはずなのにまた味わいたくなる。その舞台がまた独特なのだ。
氏は精神を病み創作活動から遠ざかっているらしく、新作を見ることがほとんどない。もしどこかに引きこもるなら「つげ義春の漫画」だけあればいいかな~とも思う。残念ながらこの作風が良いという人はそんなにはいないような気がする。そういう意味では町田さんは日本最東端でつげの漫画について話し合うということで大きな意義があるように思えてならないのは、きっと私だけだろう。

今日北極星について勉強しました(笑
2等星であること、その位置について再確認。2万6千年周期北極星が交替していることなど、現在はコグマ座のポラリス。その小熊座は英語ではLittle dipper(小さじ)といい、そのリトルディッパーは私がシーカヤックで愛用しているパドルの名前でとても驚いた。

さあ寝る前に借りたつげ義春関連の本を読んで寝ます。

最近読んだ本、「海を歩く」。北海道を時計逆周りで約2年がかりで回った話だ。著者が書いている「北海道をシーカヤックで周る上で何の参考にもならない」と書いている。これは単なる航海日誌ではないし冒険談でもない。ストア派の言説でもない。けれど何か楽しい、旅を感じる本だ。私は読んでる途中の写真のキャプションに「out side of love」と言うのがあってどんな意味かわからす、後からそれが道南のシーカヤックショップと知った。それ以来、もう一度その写真を見つけようとしているのだが、未だ見つけられずにいる。 最近は毎晩寝る前にジョン・ダウドの「シーカヤッキング」を読んでいる。そのあと気ままな旅人気分に浸りたくて「海を歩く」を読む。その時間が午前1時過ぎ、夜間飛行では探せるわけがない。

今日海でのソロフライト(単独飛行)昼から風が強くなりかけた頃、チトライから船出た。目的地は岬町、けれど2kmほど行ったら追い風が強くなり、引き返す。やっぱり海の上はいい。最高!

先日羅臼、幌萌の佐々木泰幹さんが太平洋と、ここ根室海峡の違いについて、適切な表現でそれを表わしていた。

それは「波長の違う、うねり」 海峡がピッチの短いうねりとすると、太平洋は波長が長く大きい。たとえば、学校のグランド10枚が「うねり」の一単位となることもある。実際私が去年の今頃歯舞~納沙布のツアーではそれを体験した。佐々木さんは根室、落石の港に入る前に、うねりに捕まったタンデム艇が垂直に崩れ落ちるのを目の前で見たという。うねりは岩礁地帯では本当に危険だ。

今日久保田さん、松本さんとシーカヤックでカレイ釣りに午後から出かけた。雨まじまりだが、どうせ水遊びは濡れるのだからと出かける。浜からカヤックを出して沖合いにシーアンカーを打って船を安定させる。知床連山を見ると、すごい風景になっている。尾根にぶつかった風は気流をおこし、すごい量の雲をとどめ、その上をとんでもない速さで流れていく雲たち。曇っている時は穏やかだった。しかし、稜線に突然晴れ間が見えて雲が破れた。晴れてくるととたんすごい風が吹き出す。
2時間ほどでそこそこに魚も釣れ、明るいし、まだ釣りをしていてもいいなと思っていた時、久保田さんが風が気になるから止めようと言う話になった。三人でレースのように港に向かう。松本さんのペンギンが圧倒的に早い。私や久保田さんの艇は重くてスピードは不利だ。
船を陸にあげて、片付けて車のキャリアに積んでいる時に、ものすごい突風が吹く。危なくカヤックが飛ばされるところだった。3人で顔を合わた。戻るのが30分遅れたら、海上で風に煽られひっくり返っていたかも知れない。水温は10Cを切っていて、ライフジャケット着ていても30分とは生きていけないだろう。ここの海と自然は本当に厳しい。だからここの自然は素晴らしいと思う。こんな場所他にはないのだから・・。

キッチンと居間の間を占領しているのがカヤックで使う道具群だ。単身赴任の素晴らしさのひとつは、生活必需品と、非生活必需品のボーダーが極めてあいまいで、普段使う食器はキャンプ用、食卓テーブルの上はフライタイイング(毛鉤作り)用のものであふれ、パソコンの周りはマニュアルなどで足の踏み場もなく、ステレオの周りはCD、寝るのはテント、部屋のベッドにはいつも洗濯済のものが置かれ、テントの周りは本が散乱している。
なんという至福の空間だろうか!それについてとやかく言う人間は誰もいない。夜中に荷物を整理し次使うまでに中を整理しておく。その反面部屋の中は片付かない。

ある女性を知っている。はるかに年上の女性だった。喫茶店でバイトしていたその人は、誇らしそうに旦那がゴルフに行くとき、靴を磨きクラブをセットし持たせ、家に戻ると全部自分が片付けると言った。それを聞いて少しの羨望と窮屈さという違和感を感じた。例えばカヤックツーリングでは、そんなこと不可能なだ。現場で何かを忘れる事くらい最悪な事態はない。自分で一から百まで点検するしかない。趣味とはいえ、ひとつ間違えば死ぬ趣味。これはもう趣味とは言えないものとなっている。だからモノがすべて溢れている、露出している状況が理想的。

本日意外なところでこの羅臼日記の定期購読者を新たに知った。また読んでください。

携帯を使い出したて5年、それ以来公、衆電話を使うことがまったくなくなってしまった。車に乗りながら、道を歩きながら、~しながらポケットから携帯をだして、電話をかける。電話というより無線の感覚だ。便利な時代になったもんだとつくづく思う。しかし便利さゆえの不便さ、圏外地域にいると不安でしょうがない。挙句の果てにはいい大人が携帯のアンテナをもって歩き回り、「ここは(アンテナが)立つ」「あんたのは立ってるか?」と大衆の面前でも皆口走っている。とどめは「俺のは立っていぞ」。携帯のもたらす功罪は様々なところで起きている。
先日羅臼港の朝の散歩で港の電話ボックスが目についた。ボックスはあるが無造作に撤去された電話機。もしかすると盗まれたままなのかもしれない。遠く本州、日本海から羅臼まで漁にやってきた漁師達のたくさんの声を伝え続けた電話。今は誰も使わないのだろう。私も学生時代、好きだった女の子に公衆電話から電話をかけたことがある。友達と何人かで電話ボックスには入り、みんな息を潜めて話を聞いたこと。話す内容は他愛もないクラスのこと・・私の順番が終れば、次の友達の好きな女の子の家に電話。けれどそれだけでも何かうれしくて、暗い帰り道友達とはしゃぎ回り帰った記憶がある。電話ボックスが消える前に最後に使っておこう。

海と淡水をフラインマン(フライフィッシャーマン)が気取って言うとき、海水はソルトウォーターで淡水はフレシッュウォーターと言う。ごくあたりまえの話なのだけれど、今朝職場の同僚の工藤君と朝2時に釣りに出かけた。羅臼から遠く離れて、フレッシュウォーターに。虫類川に立つ。薄暗く山霧が立ち込める中釣りの準備をする。希望に燃える朝だ。ウェーダー(胴長)を履き、ベストを着て、ロッドをつなぎ、フライを結ぶ。この儀式が終るまでに、気持ちは高ぶり、原始の人間に戻る。川辺に立つと言うことは宗教的な儀式の一つでもある。川にいる間じゅう、沈黙と祈りと懺悔に明け暮れし、その願いが成就された時に神の祝福、仏の存在を感じる。残念ながら今日の我々は神を罵り、疲労困憊し、現実の嘲笑を横目に羅臼に戻り、二度寝した。
その夕方オショロコマをいじめに出かける。けれどオショロコマもいなかった。片想いだから楽しいのさ。これがいつも両想いだったらきっと、釣りなんか飽きてしまうさ。そんな話をしながら、僕達は来週の計画を立てる。「そういえば何年か前だけどさ、あの場所知ってる?そろそろいいかもしれない」
「来週行きましょう!」
「よし!行くか!」
釣りは世代を超えて少年としてして付き合える楽しい時間だ。

at: 2002/06/03(Mon)

5月24日当地へ赴任し、前任者からの引継ぎで無理やり参加させられた羅臼のチャリティ実行委員。私ははじめて歌謡ショーに手伝いとして参加。正直言ってこの手のショーは苦手だ。しかし、はじまるやそのパワーに圧倒されっぱなし。またお年寄りの喜ぶ姿にも感心した。民謡ははるか大陸からやってきたのだろう。どこか郷愁をさそう物がある。庄司恵子さんの語り、歌はまさに日本のソウル。写真の民謡の歌い手の名前は忘れたこの写真の女性も、素晴らしいパワーで歌う。年齢も若く民謡で生きて生きたいけど、それだけでは食べていけない。一応演歌歌手としてコロンビアからデビューしたそうだ。歌うごとに何かつぶやき、丁寧に深々とお辞儀をする姿が印象的だった。きっと自らは見に行くことはないけれど、彼女達のショーのことは二度と忘れない。

今日5月21日は息子の7回目の誕生日だった。「仕事で行けない」と妻を通して言っておいたが、息子が「これないのか」と逆に妻を通じて言ってきた。羅臼から釧路燗なので約三時間、当日時間休を取り早めに仕事を切り上げ、翌朝4時にでたら仕事に間に合う。息子の大切な誕生日、行かないわけには行かない。釧路には6時30分頃着き、妻の料理の用意を手伝っていた。今日は短い時間だけど息子とたくさん遊んでやろう。
そのとき職場からの電話、重大な問題が起きてしまった。交通事故だ。しかも発生から結構時間がたっている。処理担当の私には一番最後の連絡だ。その瞬間、息子の7回目の誕生日は終ってしまった。急に無口になった私に孫の誕生日を祝いにきた私の両親はそそくさに引き上げた。私は泊まる予定を切り上げ息子が寝ると同時に釧路を蹴飛ばした。
ケーキの蝋燭を吹き消すときに妻や娘が「happy birthday」を歌う。私は気もそぞろでとりあえず写真を撮った。羅臼に帰ってきて見て照れくさそうな息子の顔がちょっといとおしい。その時、彼に一番伝えたかった「生まれてきてくれてありがとう」を忘れたこ
とに気づいた。